37才パパの関西お出かけブログ

37才の京都勤務のWEBディレクターが、関西近辺のお出かけ情報や子育てなど日々の出来事を適当につづっていくブログです。

京都三条鴨川の風景、天気(2015.9.24)

シルバーウィークはずっと天気良かったですが、今日は朝から雨が降ってます。

京都三条鴨川の風景、天気(2015.9.18)

ちょっと雲が多いけど気持ち良い天気です。

京都三条鴨川の風景、天気(2015.9.15)

今日も良い天気です。
三条大橋の上でなんか有名人見た気がする。人違いかな。。

関係ないけど近くにあったおりょうの石碑。

京都三条鴨川の風景、天気(2015.9.14)

今日はほとんど雲もなく、気持ちの良い天気です。

京都三条鴨川の風景、天気(2015.9.11)

今日も天気良いです。暑くなりそう。

京都三条鴨川の風景、天気(2015.9.10)

台風一過の気持ち良い天気です!晴れ

夜の京都史跡めぐり 〜龍馬暗殺篇〜

今日から仕事帰りに行ける範囲で史跡めぐりをしていきたいと思います。

今回は、坂本龍馬中岡慎太郎が襲撃された近江屋跡とその周辺にある史跡を紹介します。


まず、

近江屋跡

河原町四条の交差点からたぶん北(京都人じゃないので北南に自信がない)に少し入ったところにあります。OPAの並びです。
以前はコンビニだったようですが、今は京のとんぼという回転寿司になってるようです。

説明書きの内容

坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地(近江屋跡)
この地は、慶応三年(一八六七)十一月十五日、維新の功労者である土佐藩海援隊長の坂本龍馬(一八三五~一八六七)が盟友である陸援隊長の中岡慎太郎(一八三八~一八六七)とともに刺客に暗殺された近江屋(醤油商)があった所である。
龍馬は、海援隊の本部があった酢屋(材木商)に下宿していたが、前年の寺田屋事件により幕府から狙われていたため、土佐藩の出入商人であった近江屋に移っていたのである。
十一月十五日の夕刻、中岡が近江屋を訪ね、大政奉還後の政局について論じていたが、夜になり、十津川郷士と称する男たちによる襲撃を受けた。
龍馬はその場で絶命し、中岡も二日後この世を去った。龍馬は三十三歳、中岡は三十歳、実に大政奉還(十月十四日)が行われた一ヶ月後、王政復古の大号令(十二月九日)が出る一ヶ月前の出来事であった。
龍馬と中岡は、ともに遭難した山田藤吉と現在の京都霊山護国神社に埋葬されている。

龍馬と中岡が暗殺された場所です。正確には龍馬はほぼ即死、中岡はなんとか二日間生き延びて、襲撃の様子を伝えたそうです。龍馬は斬られて朦朧としながらも中岡を変名(石川)で呼ぶなど最期まで気遣ったそうです。犯人は見廻り組という説が有力なようですが薩摩の陰謀みたいな話もあってミステリアスですね。
龍馬暗殺もだいぶ昔の話のように感じますが、たった150年前なんですよね。。

おーい竜馬の「ほたえな!」のシーン


次は、

中岡慎太郎寓居地

龍馬と同じ土佐藩出身で盟友である中岡慎太郎が身を寄せた土佐藩御用達書林菊屋(鹿野安兵衛宅)の跡です。近江屋跡の河原町通りを挟んで向かい側にあります。今は何屋さんですかね?

菊谷の息子の峯吉が龍馬襲撃の第一発見者になります。



最期は、

古高俊太郎邸跡

古高は近江の勤王志士ですが、表向きは馬具商人として主に長州藩士を支援していました。が、新撰組に捕まってしまい拷問にかけられ死んでしまいます。池田屋事件長州藩士がクーデターを企てようとしていたわけではなく、古高を助けるために会合を開いていたという説もあるそうです。


場所は、中岡慎太郎の石碑の裏あたりにあります。


この3つの石碑は近くにありますので、5分くらいで全部まわれます。またこんな感じで今後も紹介していきたいと思います。
ではでは。